
オウム真理教による地下鉄サリン事件から今月20日で30年となります。警察はオウムの施設への家宅捜索を数カ月前から検討してきましたが、実施予定の2日前に事件は発生しました。事件を未然に防ぐことはできなかったのか。当時、警察庁の刑事部門トップだった人物が証言しました。
■捜索予定の2日前に…「先越された」
1995年3月20日、首都・東京は前代未聞の無差別テロに見舞われました。通勤時間帯の地下鉄で、同時多発的に猛毒の神経ガス『サリン』がまかれた『地下鉄サリン事件』です。14人の命が奪われ、6000人以上が重軽傷を負いました。
当時、刑事警察のトップとしてオウム真理教と向き合った垣見隆さん。教団の施設に対して大規模な捜索を3月22日に行う方針を固めていました。ところが、その2日前に事件は起こります。
元警察庁刑事局長 垣見隆氏
「捜索の前々日にまさかああいう形で攻撃を受けるとは予想もしなかった。先を越されたというか、やられたという感じです」
■3つの分岐点…異臭事案 見落としも
オウムの危険性を認識しながら、なぜ警察は早い段階での捜索に踏み切れなかったのか。事件に至る3つの分岐点をたどります。
【分岐点1:松本サリン事件】(1994年6月27日)
地下鉄サリン事件から遡ること9カ月。サリンの製造に成功したオウム真理教が、その威力を試そうと長野県松本市の住宅街で散布する『松本サリン事件』が起きます。警察は当初、事件の第一通報者で、自身もサリンの被害を受けた男性を犯人視。大きなミスを犯します。
元警察庁刑事局長 垣見隆氏
「宗教団体が化学兵器を作って使用するのは考えもしなかった」
重要な事案の見落としもありました。長野県の隣、山梨県旧上九一色村ではサティアンと呼ばれる教団施設が数多く作られ、住民は危険性を訴え続けていました。
住民シュプレヒコール
「正体不明、悪臭廃棄物は持ち込むな」
ここで松本サリン事件の直後に悪臭騒ぎが2度起きます。実際にはサリンが作られていた場所ですが、警察は異変に気付くことができませんでした。
その後、8月上旬になってオウムが捜査線上に浮上したという報告が垣見氏に上がりますが…。
元警察庁刑事局長 垣見隆氏
「オウムがどうもサリンの原材料を集めている。松本サリン事件にオウムが関連している可能性があるという情報が私のところに上がってきたけど『いやそんな突拍子もないことを言われても』という、私の最初の受け止め方はそうでしたから」
突拍子もないと思っていた話を現実の脅威として受け止めるようになるのは、松本サリン事件から5カ月が経った頃。サティアン周辺の土壌からサリンの生成時にできる残留物が検出されました。垣見氏は教団の大規模な捜索に向け検討を始めました。
【分岐点2:最高幹部会議】(1994年12月15日)
12月15日、警察庁長官室で重要な会議が持たれました。約600人の人員を動員、着手は2~3カ月先を想定。垣見氏がこうした内容を提案し審議が行われました。出席者は國松孝次長官をはじめ、関口祐弘次長や杉田和博警備局長ら最高幹部。結論次第では地下鉄サリン事件を防げた可能性もありました。しかし、相手が宗教団体ということもあり、慎重な意見が相次ぎます。
元警察庁刑事局長 垣見隆氏
「決めるには時期尚早というか。そこまで煮詰まっていないのではということで。特にオウムの実態もまだ十分、分からないというような話も出て、再度、捜索実施の時期については協議をしようというのが結論でした。やっぱりもうちょっと強硬にというか、私自身が強硬に説明や説得もして結論を出してもらうことができたのであればという、ある意味で反省事項です」
こうしてオウムに切り込むことができない時間が過ぎていくうちに年が明け、その状況が一変します。
【分岐点3:スクープ記事】(1995年1月1日)
95年元日、上九一色村でサリン残留物が検出されていたと読売新聞が報じます。松本サリン事件にオウム真理教が関連している可能性を示したスクープでした。
元警察庁刑事局長 垣見隆氏
「警察の手の内が相手方に分かってしまった。捜査方針を変更せざるを得ないインパクトもあった。相当、態勢を整えていかなければ、捜索を実施するにしても難しいだろうということで、警視庁に参画してもらわざるを得ないという考えになってきました」
しかしその警視庁は、管轄する東京都内でオウムによる事件を把握しておらず、投入が遅れます。一方、オウムは直ちに反応し「自分たちは被害者だ」という主張を始めました。
林郁夫受刑者(1994年1月4日)
「殺人実験のようなことを、あるグループがオウム真理教に対して行っている」
この間、教団は証拠隠滅のため、サリンを全て廃棄。サリンプラントの隠ぺいも行い、着々と備えを進めていました。警察が捜索の“Xデー”を定めたのは3月中旬になってからです。
元警察庁刑事局長 垣見隆氏
「『これ以上は先延ばしできないよ』というようなことがあって『じゃあどうするか』ということになって、22日というのが警察庁・警視庁で意見調整をして決まった日時」
■捜索目前に事件発生 自責の念
先に打って出たのはオウムでした。
警察無線
「小伝馬町の状況にあっては30~40人が倒れている状況。なお脈のない者も若干あり」
使われたのは、わずかに残った原料から前日に急きょ作った不純物の混じったサリン。
警察無線
「車内に置いてあった新聞紙に包まれた濁った液体から相当の悪臭がした」
捜索はわずかの差で間に合いませんでした。何が原因だったのか…。
元警察庁刑事局長 垣見隆氏
「オウム教団の持っている脅威や危険性というものについての認識が、警察組織全体でうまく捉えることができなかった。もっと早く捜索すれば何とか防げたのではないかという気持ちは当然その時持ちましたし、そこから離れられない30年だった」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
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