
紅皮症, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=722961 / CC BY SA 3.0
#症候
#皮膚疾患
紅皮症(こうひしょう。英語: Erythroderma)は先行する皮膚疾患や内臓疾患などに続発し、全身の皮膚が真っ赤に潮紅して皮膚が剥がれ落ちる(落屑)状態を呈する皮膚反応であり、単一の疾患ではなく症候名である。
剥脱性皮膚炎とも呼ぶ。
紅皮症は、当初原因の分からない原発性紅皮症と各種疾患に起因する続発性紅皮症に大別されたが、多くの議論を経て様々な疾患に続発する皮膚反応であるという概念が定着した。
紅皮症についての詳細な報告は1862年、ウィーン大学皮膚科学教授であったHebra(ヘブラ)が「終始皮膚の潮紅と落屑のみを呈し、他に丘疹、小水疱などの皮疹を見ず、慢性に経過し、予後不良の疾患」としてヘブラ紅色粃糠疹を報告したのが端緒となる。
続いて1867年にWilson(ウィルソン)が亜急性汎発性剥脱性皮膚炎の症例報告を発表した。
さらに1876年Féréol(フェレオール)続いてBesnier(ベニエ)が急性紅皮症として再発性落屑性猩紅熱様紅斑の症例を報告、1878年にはRitter(リッター)が新生児に発症する致死的な紅皮症として新生児剥脱性皮膚炎を、1892年にはSavil(サヴィル)がイギリス・ロンドンの複数の養老院において集団発生した流行性剥脱性皮膚炎を、1907年にはLeiner(ライネルまたはライナー)が乳幼児に特有の紅皮症としてライネル落屑性紅皮症の症例をそれぞれ報告するなど、多くの研究者によって紅皮症についての症例が集積されていった。
こうした紅皮症の症例報告を検討し系統的な分類を試みたのはBrocq(ブロック)である。
Brocq は1902年に先天性魚鱗癬様紅皮症を最初に報告したことで知られているが、過去の症例報告を収集、分析し自身の考察を加えて1882年と1909年の二度にわたり紅皮症を再編・分類した。
ここにおいて原発性紅皮症と続発性紅皮症の概念が登場する。
原発性については再発性落屑性猩紅熱様紅斑、亜急性汎発性剥脱性皮膚炎、およびヘブラ紅色粃糠疹を各々急性・亜急性・慢性型原発性紅皮症に分類し、亜急性汎発性剥脱性皮膚炎より慢性型(慢性汎発性剥脱性皮膚炎)を分離、ヘブラ紅色粃糠疹についてはHebraの報告した型に良性の亜急性型と慢性型の疾患概念を追加、さらに乳幼児剥脱性皮膚炎を7番目に加えた。
そして湿疹、脂漏性皮膚炎、乾癬、扁平苔癬、毛孔性紅色粃糠疹、天疱瘡などの皮膚疾患が汎発化して生じた紅皮症を続発性紅皮症として定義、分類した。
日本ではHebraの孫弟子であり東京帝国大学医科大学皮膚病学黴毒学講座教授として日本皮膚科学会の設立に尽力した土肥慶蔵がBrocqの分類を紹介した。
Brocqの分類はその後長らく紅皮症の概念として定着するが、個々の疾患概念についてはJadassohn(ヤダーソン)が1891年と1892年の論文において、慢性汎発性剥脱性皮膚炎は単なる汎発性の湿疹であると反論、その後各種専門書では慢性汎発性剥脱性皮膚炎やヘブラ紅色粃糠疹の良性亜急性・慢性型については使用されなくなり、乳幼児剥脱性皮膚炎もRitterの新生児剥脱性皮膚炎と同一でかつ細菌感染症が原因であることが判明して除かれ、次節で述べる3疾患名が臨床で使われるようになった。
紅皮症の分類が一応確定した後、続いて病因論に関する様々な見解が発表された。
急性型(再発性落屑性猩紅熱様紅斑)についてはすでにBesnierが特定の素因を持つ患者に何らかの刺激が加わることにより発症すると推測していたが、水銀、砒素、金といった重金属や薬剤、さらには結節性動脈周囲炎に本症が続発したという報告が多数の研究者から報告され、感染症またはそれに起因するアレルギーおよび重金属や薬剤性の中毒による紅皮症ではないかという見解が強くなった。
亜急性型(ウィルソン・ブロック紅皮症)ではBrocqが神経皮膚症、Kyrle(キルレ)が内分泌障害由来であると主張した。
慢性型のヘブラ紅色粃糠疹についてはJadassohnが結核との関連性を強調し、結核性紅皮症であるとしたが土肥は老人性内分泌障害に起因する自家中毒が原因であると1930年に発表している。
またMontgomery(モンゴメリー)はヘブラ紅色粃糠疹の症例には白血病や悪性リンパ腫、特に菌状息肉症に伴う症例が多く存在すると1933年の論文において指摘、Sézary(セザリー)による1938年のセザリー症候群の報告をはじめ、多くの研究者が血液悪性腫瘍と紅皮症の関連性を報告してJadassohnが主張したヘブラ紅色粃糠疹=結核という図式...
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