数年後にサリン“後遺症”に衝撃 前代未聞のテロ事件にもかかわらず…消失寸前の記録【報道ステーション】(2025年3月20日)

地下鉄サリン事件から30年。後遺症がないと考えられていたサリンの症状。国は、被害者の“その後”の状況を追うことはありませんでした。しかし、いまも苦しみ続けている人がいます。

■サリン“その後”消失寸前の記録

東京都内にある雑居ビルの一室。ここに、長年、集められたデータがあります。地下鉄サリン事件の被害者2700人分の問診票です。『頭痛・めまい』『目が見えづらい』。事件後も続く症状が記されています。

リカバリー・サポート・センター(NPO法人) 山城洋子さん
「これが個人の記録なんですね。一番、大事な私たちの記録。自筆で書かれていることによって、その人が浮かんでくる」

サリン被害を継続して診てくれる病院がほとんどないなか、医師や弁護士らで立ち上げたNPO法人が、毎年、被害者を対象に集団検診を行ってきました。

リカバリー・サポート・センター(NPO法人) 木村晋介理事長(80)
「最初のころは600人以上が来た。どうやったらいいか、ばたばただったんですが。国が(調査)やってくれそうにないから、もうやっちゃうよ、こっちで」

事件に巻き込まれた森瀬郁乃さん(52)。
当時、都内の会社で事務をしていました。あの日も、通勤客で満員だった日比谷線に乗り、会社に向かう途中でした。

森瀬郁乃さん
「『事故があったみたいなので、いったんドアを開けます』と」

“前の電車が詰まって発車できない”。遅刻を恐れた森瀬さんは、10分後、電車を降りることにしました。

森瀬郁乃さん
「ホーム降りて、すぐに“水たまり”があった。半分以上がもうびちゃびちゃで。洋服にはねちゃうと嫌だなと思って、つま先立ちで歩いた記憶がある」

それが、サリンでした。

事件は、霞ケ関駅を通る日比谷線など3路線、5つの車内でほぼ同時に発生。なかでも、多くの被害が出たのが小伝馬町駅です。車内に置かれたサリン入りの袋。異変を感じた乗客が、蹴り出し、ホームに広がったのです。その7分後の電車で到着した森瀬さん。ホームにいたのはわずかでしたが、駅を出た瞬間、異変を感じます。

森瀬郁乃さん
「空をぱっと見た瞬間に、朝、青空だったのに曇った?という感覚。薄い水色が、ちょっとグレーぽい」

日中でも薄暗く見えるサリン特有の症状が始まっていました。それでも、歩いて会社へ向かおうとします。

森瀬郁乃さん
「この辺りで息が苦しくなってしまった。一緒に会社に行こうとしていた女性と、この先、無理ということで、この辺でしゃがみこんでしまって」

そのころ、都内の病院には、次々と通勤客が運びこまれていました。

病院を解放し、患者を受け入れた聖路加国際病院。治療にあたった石松伸一医師は、当時、「手探りの状態」だったと話します。

聖路加国際病院 石松伸一院長(65)
「私は、救急の入口のところで、患者さんの振り分けをやっていた。運ばれる人が次々、来て。皆さん目が痛い、息が苦しい。なかには吐き気がする。サリン中毒が、どのくらい症状が続くか、全く経験も文献的な報告もなかった。程度の軽い方は、その日のうちにどんどん軽くなって帰れた。これで、この事件のことは終わるのかなと思っていました、最初は」

しかし、終わってはいなかったのです。

森瀬さんは、事件直後、入院が必要となりましたが、4日ほどで退院。職場に復帰することができました。

ところが数年後。体調が悪化し、仕事すら手につかない日々。病院へ行っても原因がわからなかったといいます。

森瀬郁乃さん
「気づいたら薬局で鎮痛剤を買う回数がやけに多くて。私、こんなに頭痛持ちじゃなかったのにと思っていた。年中、もどしたり、(吐き気が)治まらない、1日じゃ。サリン自体がよくわからず、後遺症が出ることもわからないし」

森瀬さんがたどり着いたのが、被害者の健康状態を追跡していたNPOでした。そこには、森瀬さん以外にも同じような訴えが寄せられていました。

NPOから相談を受けた医師は衝撃を受けたといいます。

井上眼科病院 若倉雅登名誉院長(75)
「救済された人は、普通に生活して、元気でやっているんだろうなと、勝手に根拠もなく思っていました」

診察の結果、被害者305人うち、3人に1人が、サリンの影響で症状が出ていることがわかりました。若倉医師は、蓄積されたNPOの記録があったからこそ、サリンのさまざまな後遺症がわかったと指摘します。

井上眼科病院 若倉雅登名誉院長
「あれ(問診表)がなかったら、僕も気がつかなかったし。30年前に“異常なし”と言っていた人が、いま診たら、異常じゃないの?ということがあり得る。私は、いつも言っていますが、事件当時、正常と言われた人も含めて、全国的にカルテを保全すべきだった」

ただ、保存期間が原則5年とされる医療機関のカルテは、いまはもうほとんど残っていません。

記録を取り続けてきたNPOは、節目となる今月で、活動を終える決断をしました。検診者数は少なくなったことや、メンバーの高齢化で続けていくことが難しくなったのです。

この記録をどう引き継いでいくのか。

リカバリー・サポート・センター(NPO法人) 木村晋介理事長(80)
「いろいろ国に保管してもらおうと働きかけをしたこともあるが、なかなか返事はいただけないので、被害者がほしいという話があれば、お返ししようと」

森瀬郁乃さん
「国が、どこどこの機関で回収しますって言ってくれるのを期待して待とうかなと私は思っている。それを役立ててもらいたいし。返されても、みなさん捨てずに待っていよう」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

powered by Auto Youtube Summarize

おすすめの記事