
プロレスが、ほかの格闘技と明確に違うのは「相手の技を受ける」という点だ。
避けたり、防御はしない。どんなにダメージを負っても、相手の技をあえて真正面で受けて、それ以上の技でやり返す。そうした攻防を繰り返し、お互いのスタミナを削り合い、
力尽きたほうが負けだ。
そんな熱く激しく、過酷な戦いで 「プロレス史上の頂点」といわれたのが1993年
から2000年、全日本プロレスで繰り広げられた「四天王プロレス」である。
「四天王プロレス」とは、限界まで受け身を取りながら、ピンフォールで完全決着する試合である。ジャンボ鶴田や、天龍源一郎が一線を退いた後に台頭した、三沢光晴、川田利明、小橋建太、田上明がその中核メンバーである。
レフリーのスリーカウント直前でレスラーが肩を上げる。興奮して、足踏みをする観客・・・。
ワン、ツー、で足をバタバタさせファンは熱狂し、日本武道館は毎回、当然のように超満員になっていた、全日本プロレスの黄金期である。
当時の、全日本プロレスは、鎖国政策を取り、集客力のある安易で刺激的な、他団体との対抗戦を拒んでいた。試合内容の向上を狙って、行き着いたのが究極のプロレス『四天王プロレス』であった。
四天王の繰り広げるプロレスは、明るく、楽しく、激しいプロレス。両者リングアウト、反則決着、ギブアップ決着すら排除し、ピンフォールで試合を決する。そこから生まれる「カウント2.9の攻防」は一種の芸術であった。
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